大学中退・・・親への裏切り~その後は職を転々

何をやっても、中途半端で限界を感じては職を変えた

気づけば、幼少期から、継続して努力することができなかった。少年野球、少年サッカー、中学、高校での部活動、いづれも、1年どころか、早ければ1か月に満たないぐらいで辞めてきた。一旦、辞めたいと思うと躊躇はなかった、今にして思えば、人間関係ですごく逃げの姿勢だったのが、最大の辞める原因だったと思う。身内での見せかけの自己主張はできたが、社会に出た時の自分には、強さがなかった。気の合う感じの仲間なら自分の意見もいえたが、いじわるや、嫌なことをしかけてくる人達に、反抗することができなかった。転々とざっくり20以上の会社で仕事経験がある。短ければ、1日や半日何て職場もある、そんなのもカウントすれば30は楽に越える職歴だ。とりあえず、人間関係で自分なりに嫌すぎる限界だと思えば躊躇なく退職していた。

自分の強いわがままで大学中退

実は、無謀にもプロゴルファーになろうとしたのが、大学中退の理由だった。予備校で一年間浪人して、やっと入学できた大学。偏差値40台だった自分にしては当時55ぐらいの大学だったので、出身高の中ではよくやった感じの成績。実は、入学する前からも、ゴルフの夢はあったが、何せ体育会のゴルフ部なんて、お金がとんでもなくかかる上にバイトもできない。とりあえずすぐに働くという怖さを感じていた。それで進学したような、とんでもない理由で入学理由であった。

大学は辞めたけど、後の人生でこころの支えになる体験をした

目的もなく、やりたい勉強があるわけでもなく、ただ、自分の学力で、入りやすいということで経営学部を選んだ。正直、予備校では教え方が抜群に上手な講師が多々いて、実は、予備校の授業は楽しくもあった。それの影響もあってか、大学での先生の授業の何とつまらないことか、教え方もただ、何年も使いまわした内容をただ読み上げてるだけのような、とても興味の持てない感じであった。授業のつまらなさには、かなりショックを受けた。そんなこともあり、学校へ行っても、授業は受けずに、サークルの部室に行って、適当にだべって帰るという感じの、ホントに酷い生活を送っていた。

ただ、入ったサークルに恵まれた。今は誰とも繋がっていないが、当時の仲間や先輩と飲みにいったり、他愛ないことを話したりが、自分にとっては、とんでもなく楽しかった。とにかく、あんなに開放感があるのは大学ならではだろうと思う。

上下関係の厳しさも残る感じはあったが、お酒の飲み方から礼儀的なこと、徹底的に後背の面倒は見る先輩達だったので、1年次で退学したが、義理と人情、器の大きさ(全く自分はできてないが)を真近で体験した。人間的に魅力溢れる先輩方の行動が今でも自分の支えになっている。

とんでもなく両親にひどいことをしてしまった

しかし、そんな、一見楽しい、大学生活にも何しに来てるんだろうの自己嫌悪感がよぎり。勉強の意味を感じられず、ゴルフへの気持ちも抑えきれずに、親の反対をおしきり中退。今思えば、最初から働けばいいものを、当時は甘えたとんでもない身勝手な行動でおしきった。そこから、数年、ゴルフ場を転々として、練習生として働くも、努力も工夫もたりずに、実に中途半端な挑戦は終わった。

プロゴルファー断念してから強烈な自己嫌悪感に苦しむ

金銭面の援助をとんでもなく両親から受けたにもかかわらず、それを裏切り、自己のわがままを押し通して、はじめたゴルフも全くダメでホントに自分が情けなかった。細かいアルバイトも入れれば、20代にして履歴書に書ききれないぐらいであった。あれだけ、親に偉そうな啖呵を切って、色々好き放題やらしてもらって、この結果・・・

自業自得で劣等感がふくれあがり死ぬことばかり思いはじめた

元々友人も少なく、ふさぎがちな自分は友人のお誘いも断り、人づきあいもほぼゼロであった。相談する友人もなかった。会社の面接で受かることもあるのだが、履歴が汚れ過ぎてるし、ゴルフのプロを目指してたと恥ずかしくて言えずに、ただゴルフ場内でコース管理などの仕事をやってた感じの内容にしたり。履歴の内容をアレンジしてる自分も嫌だった。変にプライドもある自分であった。何度か、面接を落ちたり、受かっても数日で辞めてしまったりが続いて、仕事できない精神状態になった。友人がいないというのも自業自得なのだが変に隠そうとする自分がいて嫌だった。このままだと、めっちゃ自分に嘘をついてる・・

次第に何をする気もおきなくなり、気づくと朝目覚めないで死んでたらいいなぁと思うようになっていた。

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